2015年8月29日土曜日

アルデンテ米

Hello みなさん。

こんばんは。


炊飯器がないもんで、お米に時々芯が残っています。アルデンテ米。スパゲティじゃないんだから。
喜ばないよ、お米のアルデンテは。



僕は案外か弱い。
海に行ったり、タンクトップを着たり、バイクに乗ったりする。

だからワイルドと人には言われる。
けど思いの外か弱い。


バイクは先日父親に売却されたが


ラインで数枚僕のバイクがトラックにつまれていく様の写真が送られてきて

最後に ばいびぃ と一言。



初めて胃が痛くなったのは高校生のころ。
高校は大嫌いだった。毎日退屈でつらまらなくて。


授業中はずっと寝たし。テストも答えも埋めずにだすことも。
英語も数学も科学も。

しかし今英語を使い仕事をしているという奇跡もあり。



まぁ度々胃がいたくなる。
わがままに育ったのだろう、きっと。

自分の嫌なことを嫌々やっていると、思考とかよりも体が先に反応してしまう。体が悪くなる。


動くと胃が痛いから、動きたくない。食べると痛いから食べたくない。腹は減るけど食べれない。仕方ない。


やはり自然災害にはかなわない。これはコントロールできないからね。台風なんかと同じで、自然に逆らっては、やはり気持ちや感覚に従ってはいけない。


そういう生き方は大嫌いだ。


そうして胃が痛くても、ウィスキーを飲んでしまう今夜。
珍しく週末両日休みだし、明日も1日寝転がって、男はつらいよ観ればいいし、大丈夫か。


See you soon

2015年8月28日金曜日

フーテン

Hello みなさん。こんにちは。


さあて、帰ってきて6日経ちました。あっという間に過ぎていく時間。
今のところ調子よく時間が経っていきます。


まずのところ
アパートを探しを帰って1日目にしました。

1件目
インド人が20人くらい住んでいるタコ部屋アパート。インド臭が凄い、手を伸ばせば隣に誰かが同じ部屋で寝ているところ。
さすがに住めない。

2件目
大きな家。1件屋タイプの家。到着するが、電話口から私は事務所にいますので、家に勝手に入って見てみてくださいと。どんな貸し主かと。しかも鍵開いてるんだもんね。
臭いし、暗いし、嫌だよそんなの。

3件目
フィリピン人オンリーと書かれていたが、オレ日本人。同じアジア人だし、いけるやろと!電話をかけるが、案の定断られる。

4件目
電話をし日本人と伝えるとアラブなまり大の英語で大喜びしてくれる。
しかしこの物件は女性のみだとか、あとは小さいメイドルームしかないとか。

5件目
やっと住めると感じさせてくれる部屋にあたる。
しかし値段があまり今と変わらず、アクセスも少し悪く、バスルームが狭すぎて
しかし悪くない。

6件目
そこそこの広さ、キングサイズベッドも置いても大丈夫なサイズのお部屋。
ここなら住める。
大きな窓もある。
バスルームを3人でシェアかぁ....
で、値段同じ。
しかし小言を唱えること10分。きたぁーディスカウント!

よしっ、これだ。
と新しい宿を見つけました。
月契約なので、いつでもわたくしいなくなれる。


フーテン要素が強まった人生になる。
ドバイで9万5千円、全光熱費込。安い。
と、いつでも消えられる準備を、フーテンにむけて準備を整えたのでした。


あ、それがなぜか次の宿は42階。

バカと煙は高いところが好きっていうでしょう。


あー、胃がいたい。
胃がいたくて、しょうがない。か弱いんだから。
週末だが、相変わらずやることなし。胃敗退し。


男はつらいよ
をみるみるみっるー


See you soon

2015年8月26日水曜日

プラン

Hello みなさま。こんばんは。

お久しぶりです。1ヶ月以上更新しませんでした。


何がありましたかといいますと。皆大好き夏休みです。
待ちに待った夏休みがやっとやっと僕にも来まして、そしてすぐに去って行ったのです。


僕がUAEに舞い降りましたのは2014年8月28日。それからオマーンへビザラン、

あ、ピザランではないですよ。

ピザの配達ではないので。

Visaのrunでございます。
最初のビザがない5ヶ月の間は毎月1番隣近所で近い外国オマーンへ行っていました。


まぁ、そのビザランを除き

2015年7月18日までおよそ11ヶ月間UAEにとどまっていたわけです。


晴れの日も晴れの日も、暑い日も暑い日も
緑豊かで小川の流れる豊かな自然の中にポツンと座ることを夢みながら、砂と排気ガスにまみれた空のむこうをボーッと眺めていたわけです。


食べ物もなんだか同じようなパターンであまり美味しいものも少なく、食欲もなくなる毎日

海の向こうにはうまいものがたらふくあるんだろうなぁと


マルコ・ポーロのように新大陸へ行けるかなぁと夢をみながら
お腹を空かせ待ちぼうけしていたわけです。
そしてやっと来たのです。


日本に約1ヶ月帰国。一切仕事もなしで、旨いものを安く、たくさん食べたり、飲んだりできる魔法のような、パラダイスのような国へ僕はいわけです。

そうだよなぁ、夢みちゃうよ。殆ど丸一年ぶりでしたし。今でも夢とも思える。


空気も綺麗で、全て便利にととのっている。山手線も座って読書してりゃ運転手がしっかり安全に運転してくれるのですもの。

運転手さまさま。

たくさんの好きな人と楽しい時間も過ごし、いやぁ幸せいっぱい。




そしてすぐに去っていきました、そんな時間というものは。男はつらいよという映画がありますね。楽しい時なんて長いものじゃあ、ありません。



2015年8月22日
ドバイへ戻る。夢にみることもないドバイへ戻る。無事飛行機が時間通り僕をドバイまで運ぶ。cathy pacific。香港経由。


香港でひたすら中国語を話しかけられるが、もちろんわからない。しかし持ち前のにやにやで、応答。僕が中国語わからないということすらも、話してわからずに会話が終わるを繰り返すこと繰り返す。


帰国翌日からドバイでホームレスにならないためのアパート探しが始まるのでした。
だってドバイにホームレスしにきたわけじゃないものね。


天気のせいでずっーとご機嫌まっさかさまのまま
日本のあの夏の夜はやはり夢であったのかと
毎分イライラしながら家を探す旅にでたということでした。


ただいま。cathy pacific に連れ戻されました。cathy pacific もう大嫌い。絶対のらね、おい、こら、絶対。


あ、でも日本に連れていってくれたのもcathy pacific か、ごめん。

おわり


See you soon